こんにちは、ライターの藤本智士と申します。普段は兵庫県神戸市を拠点に、全国を旅しながら編集者として、雑誌を作ったり本を作ったりしています。
ちょっとしたご縁からうるま市のイチチぬ島に興味を持った僕が(その詳細はコチラをお読みください)最初に訪れたのは、勝連半島から海中道路を渡り、平安座島、宮城島を経た先端の島、伊計島。サトウキビ畑が広がる人口約260人の島です。伊計ビーチなどの砂浜が人気なほか、最近は角川ドワンゴが運営するN校のある島として話題に上ることも。
取材当日の朝、伊計島のホテルの部屋から眺めた朝焼けがとても美しく、陽が昇っていくにつれ、いよいよ取材がはじまるんだなあと、気持ちが高揚していきます。普段関西に住む僕にとって島の暮らしはなにもかもが未知。だけどなぜか不安を感じなかったのは、圧倒的な朝焼けに背中を押されたんだとすら思います。
ホテルまで迎えにきてくれた取材チームと合流し、6名みんなで一台の車に乗り込み向かったのは伊計公民館。
ここで自治会、区長の玉城正則さん(62歳)にお会いすることになっています。
一連の取材のはじまりということで若干緊張気味でしたが、一番最初にこの取材をセッティングしてくれた、コーディネーターの菊地くんに大感謝したいくらい象徴的な出会いとなりました。
このインタビューをもって、僕は今回のイチチぬ島取材を通して伝えたいことが明確になった気がします。島で暮らすことの誇りと、島の人たちへの深い愛を感じる区長の言葉をお届けします。
会議室に区長の玉城さんが現れた瞬間、サッと緊張した空気が流れました。そんな凜とした空気をまとった玉城さん。それぞれに挨拶を交わし、さあインタビューをはじめるぞ、と再び席についたときのこと。玉城さんはこう切り出します。
「インタビューを受ける前に、自分の考えがいろいろとあって……。」
そこから玉城さんが話してくれたのは、島に対する施策や、そもそも島に暮らす人たちへの、やさしくも強い、怒りのようなものでした。
セリフ:地域活性化っていうのは、地元が、自治会がしっかりやらないとダメ。自分は平成25年の総会で自治会長になったけど、そのときに区民に言ったことは、「自分でできることは自分でやりましょう。それが活性化の第一歩ですよ」と。うるま市まかせや企業まかせじゃいけない。区民にはいつもそう伝えています。
セリフ:だからこそ、企業を受け入れるときも、「地元の意見や要求を聞かない企業は来なくていい」っていうことを言いました。我々はこの島の住民だから、企業がやって来た、そのあとの暮らしがあるから。「お金を払ったんだから、あとは自分たちの勝手にしていい」と思われると、我々の自治、つまりは島づくりが思うようにいかなくなってくるから自治会としては困る。だから、そういうことを条件にホテルもN校も受け入れました。だからベースはあくまでも地元。
セリフ:本来は、移住者受け入れというのもうるま市ではなくて、自治会が主体的にやらないといけない。考えをしっかり持って、それを受け入れてやっていけば、どんどん身になっていく。菊地さんがいる「プロモーションうるま」とか「市観光物産協会」は、我々自治会が何をしたいかというプランがまずあって、その上で、これとこれは力を借りないといけないなと協力をこちらから求めてる。これが本来のあり方。
セリフ:それが単純な役所の施策になるとこちらのプランではないものが降りてきたりする。地域おこし協力隊というのも、全国にあるけど、地域おこし協力隊がただあれこれやっていても、区民、住民に浸透しないと身にならない。実際に行動しないといけないのは区民だから。
セリフ:いまの移住促進の施策に対して我々が求めているのは、移住してきた人がちゃんと地域と連携できるのかどうか。これが伊計島の将来につながるわけ。ただ海が綺麗だからとか、町並みが綺麗だから、ここに住みたいな〜だけでは、本人は満足かもしれないけど、我々としては純粋には喜べない。
セリフ:だから、どんどん人を増やすという視点だけで、とってつけたようなやり方をしていては活性化しない。お金をつぎ込んでも、ほとんど身にならない。そういうことを前提として、インタビューは受けます。他の島しょ地域の自治会長はどう考えてるかわからないけど。
正直僕はもう帰っていいとすら思いました。だって区長の言葉は僕が今回うるまで聞いてみたかったことのすべてでした。冒頭にして核心に触れられる、これがうるまなのかと、静かにテンションが上がりました。玉城さんのこの言葉は、感情でいうならたしかに「怒り」だと思います。しかしこの怒りは、決して行政やよそ者にむけられたものではありません。島で暮らす自分たちに向けられたものでした。
――――おっしゃってることって日本全国の問題だなって思います。色々な地域のまちづくりもどこかの成功事例をもとにしていて、区長がおっしゃるように、そもそも暮らす人のビジョンではないことが問題。
セリフ:だから、その地域に合うのかということですよね。
――――そうですよね。
セリフ:合う合わないというのは地元が考えて、地元でプランニングしていかないといけない。イチハナリアートプロジェクトも地域側がアートで活性化したいなと思ってはじめて活用されていく。
セリフ:アートの島にするならアーティストを呼んで住まわせて、春とか秋に自治会で祭りのようなものをやって、そこで住民も喜ぶ。日常的にアーティストが活動していますよという状態にして。例えば人口減でどんどん赤字になって共同売店を閉めようかどうしようか、そういうところで、陶芸家がいますよ、琉球ガラスの作家がいますよ、と紹介していくことで、もっと地域に沿ったかたちで機能していく。
――――おっしゃってることの一番大事なところって、この島に住む人たちの意識だと思うんですけど、そこはどうですか?
セリフ:どういう島にしたいの? っていうことですね。正直、その手前で片付けないといけないことが多くて、まだまだそこまで踏み込んでいけれてないところです。だけど伊計の場合は自分たちでやろうという意識がまだ強いと思っているので、一歩一歩。例えば「誰々が災害で大変なことになってるから、なんとかボランティアで助けに行こう」とか、そういうことが地域づくりには必要。
セリフ:災害があると、インフラも全部ダメになるから、そこで人との関わり、つながりがどんなに大事か実感するわけ。ガスがつく、電気がつく、水が出る、これが当たり前。当たり前に空気吸ってるけど、空気がなくなったら窒息してしまうよね。それを意識しながらやっていかないとダメなんです。
セリフ:最近自治会の職員になってくれた移住者が来たとき、こういう人たちが理想的だなあと思った。地域の行事にも参加するし、草刈り作業とかも一生懸命やるし。こういう人が一人でも二人でも増えたらいいんだけど。あと本当の気持ちを言えば島出身の人にも帰って来てほしい。島のこともわかるし、歴史もわかるし。そういう人が帰って来れば、自治会はやりやすいわけよ。
――――お話を伺っていて、若い人たちや、かえって島外から来られる人たちは区長のおっしゃっていることがまっすぐ理解できると思うんですけど、でもずっとこの島に暮らしている年配の方たちがチェンジしていくのは実際とても難しいですよね。
セリフ:伊計島はよいもわるいも、先輩がやってきたことを将来に受け継がなきゃいけないという空気があるんです。でも未来を考えたときにどうあるべきかを考えると変わらなきゃいけないこともある。
――――月を見るお祭りを復活されたとも聞きましたが、そこにはどういう思いがあるんでしょうか。
セリフ:観月会ね。同じく、区民運動会も29年ぶりに復活しました。島から出て行った人たちが関心を持つようにと思って。私は伊計住民でなくて、伊計区民になりなさいよって言うの。区民っていうのは地域のことを当たり前としてちゃんとやる。住民は住んで仕事しに行って帰ってくる。遊びに行って帰ってくる。これでは島のためにならない。自分はここを宝の島だと思ってるから。そもそも、おばあもそういう人だった。
――――おばあ?
セリフ:この写真の真ん中にいるのが伊計島のノロをしていたおばあちゃんなんだけど。
――――ノロっていうのは?
セリフ:地域の祭り事や神事を仕切りをする女性の祭司のこと。
セリフ:明治24年生まれで、17歳で伊計島のノロとなり70年間努めた人で、ものすごく厳しかった。男勝りで、笑った顔は一回も見たことがない。親父から聞いた話だけど、ウシデークっていう女性だけで行う祭祀があって、軍部から「沖縄はそんなことはやるな」って婦人会を通して言ってきたときに、おばあは「なんで昔からやっていることをやめないといけない。やるなってどういうことだ? バカなことを言うな」って、祭祀を実行した。当時の軍国主義のなかで。すごいなと思う。
――――玉城さん、完全にその血ですね(笑)。
セリフ:おばあは純粋に昔からの神事はやらないといかんと思ってたんです。責任感があるわけ。軍がどうのこうのじゃない。だからね、いまも「うしろにおばあがいる」そういう感覚。
玉城さんのお話に一貫していた自治の精神は、おばあから受け継がれたものでした。そうやって<引き継いでいくこと>の大切さをわかっているからこそ、<変わっていくこと>の重要性を説く玉城さん。その葛藤から一歩でも前進するためには、それを支える若い人の存在が必要な気がしました。
未来を見つめる先輩がいるこの島に、ぜひ一度訪れてみませんか。そしてぜひ、伊計島の自然の美しさだけでなく、それを支える人々の美意識にも触れてもらえたらと思います。