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埼玉から移住しました。琉球大学への進学がきっかけです。
大学へ入りたい気持ちもあったのですが、同時に「沖縄に住みたい」という想いから琉球大学を選んだのが最初です。
幼少期、家族旅行で八重山諸島の小浜島に連れて行ってもらいました。
「はいむるぶし」というリゾートホテルに泊まったのですが、その時の印象がとても強くて。
海が無い埼玉で育ち、小浜島という島環境に置かれたとき「物凄い解放感」を感じました。
幼いながらに「こういう場所に住みたいなー」と思ったのが最初のきっかけです。
沖縄へのあこがれを探ると、幼少期、家族旅行で行った小浜島が原点かなと思います。
小浜島のインパクトが他よりも断然強かったです。
実は私、都会があまり好きじゃなくて…。
人ごみが苦手で、社会人になったら満員電車にだけは絶対乗りたくないと思っていました。
将来、都会よりは人の少ない田舎に住むと決めていたんです。
ありきたりですけど、やっぱ海の綺麗さには驚きました。
当時は内陸部に住んでいたので、とにかく海と空の解放感に衝撃を受けました。
初めて見る水平線、温暖な気候が凄く新鮮だった記憶。今でも鮮明です。
はい。埼玉へ帰るつもりは全くありませんでした。
進学時から沖縄に永住すると決めていました。就職活動も沖縄だけ。
今思い出しても、決意硬かったなと。
進学へ親の反対もなく、むしろ歓迎してくれましたのでそれほど悩みはなかったです。
しかし学校では、沖縄の大学へ進むという前例がなかったようで、担任の先生には「なんで!?」って変な子扱いされましたけど(笑)
受験で沖縄入りしたときにも「将来ここに住みたい!」と思いを強くした記憶です。
勉強部屋には沖縄のポスターを貼って、海の写真とか(笑)それみてモチベーション上げて。
琉球大学は、県外出身の学生が多くあまり困難は感じませんでした。
が、
就職してからは色々ありましたね。
まず言葉ですね。
40代の先輩方からは、学生時代に聞いたことのないような方言が飛び交っていて…慣れるまで大変だったり。
入社当初は配送セールスマンとして様々なお取引様と商談する機会が多く、その時期に自然と沖縄の方言や話し方を身に付けていきました。
もともとが埼玉なので強い訛りもあまりなく、割とスムーズだったと思います。
はい、一歳の子が1人。
今は妻に子育てを任せています。
平安座島に保育園はあるのですが、今の所は預けるつもりはなくてですね。
宮城島には活発に活動している宮城児童館があるんです。
引っ越し先を見に行ったとき、すぐ裏に宮城児童館があるのを知りまして、その足ですぐ話を聞きに行きました。
活発に動いている児童館と凄く感じました。ちびママクラブという地域の子育て中のママが集まって情報交換する場があったり。とても良いコミュニティーがあることを知りまして。
そのことが、ココに住もうと決断した大きな決め手でしたね。
もし、児童館がすたれてて機能していない状態だったら、引っ越し(宮城島への移住)は無かったかと思います。
今思い出しても、宮城児童館の存在は大きかったですね。
子供の同級生が少ないという点が不安です。
ちびママクラブでも、子供の同級生が3名位しかいなくて。
保育園に預ければそれなりに同級生も沢山いるのですが、今は預ける予定は無く。
子供が幼稚園に入った時、他の子達となじむことが出来るのかが少し不安です。
行きたいって言ったら、それは止めないですけど…(笑)
大きくなった娘が、どこに行きたいと言おうが、それは娘が決めることだと思いますが、
幼少期は良い環境で育てたいですね。
アパート暮らしではなく、家の周りを走り回れて、自然が多く残ってて。
プレイステーションの「ぼくのなつやすみ」っていうゲームご存知ですか?あんなイメージですね。
私の親の実家が栃木県なんですが、まさに「ぼくのなつやすみ」に出てくるような田舎で、
将来は自然の多い田舎で子育てしたいと思っていました。
※ぼくのなつやすみとは?
自然がいっぱいの田舎で遊ぶというテレビゲーム。
今住んでる宮城島は、すごくそれに近い環境。
私が仕事で帰る時間帯は島の回りが真っ暗なんです。
島の外周道路ありますよね、夜になるとカニがいっぱい歩いてるんですよ。びっくりですよねー。
気をつけないと車で踏んずけちゃうんですよ(笑)
庭に蛍がいたり、そんな所も島の田舎ならではだと思い楽しんでいます。
私と同じように「子供の幼少期は田舎で育てたい」という想いの皆さんは『うるま市の島しょ地域』オススメですよ。