うるまで暮らす

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移住者インタビュー

【40代 アートディレクター お子様3人】 河野哲昌さん

【40代 アートディレクター お子様3人】 河野哲昌さん

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何がきっかけで沖縄へ移住したのですか?

河野さん
長女が小児喘息だったこともありまして、都市部から離れたい想いはあったんです。
それで思い切って移住しようかと。

奥様
海の見える場所で暮らしてみたいねーという、ぼんやりとしたイメージはお互い持ってはいましたね。

東京ではどのような仕事をなさっていたのですか?

河野さん
会社員として、グラフィックやデザインの仕事を16年位やっていました。

奥様
私も会社員でした。

東京での生活のリズムはどのようなものでしたか?

河野さん
朝は7時半に子どもを保育園へ。
そのあと満員電車に乗って出社。夜は22時くらいに帰宅…。
「21時台に家に着けたら早い」という暮らしをしていました。

奥様
日々一緒に暮らしてはいるんですけど、家族そろっての夕飯は週末だけ。
夫と子供に、若干の距離感がありました。

でもその頃は「こんなもんなのかなー」と思っていて。

今では毎日「家族そろって夕飯」。
子供との時間もしっかり取れている生活。
あの頃と比べると、だいぶが変わりました。

東京では、夫の帰宅が毎日遅く、家族との対話は就寝前の30分。
起きているうちに帰ってきたら「今日は早かったねー」という生活。
対話が極端に少ない分、お互い知らない所が増えていくような感覚でした。

仕事面での変化はありますか?

河野さん
独立したわけですから、やらされてる感は全くなくなりました。
逆に「やらなきゃ!」みたいな。やらなきゃ稼げない(笑)
サラリーマン時代は管理職として数字を持たされていましたので、「どうやって達成するか…」を毎日考える日々。
成功とは”会社で出世すること”であり、そのためにはどう数字を達成させるのかしか考えていなくて。果たして、こんな働き方が自分の人生なのか?という状態。
今考えると、あんなことよくやってたなーって思います。

「いずれは地方に移住したい」とお考えの方は多いのでしょうか?

河野さん
ファストな生活から抜け出すために「移住したいという願望」を持っている人は結構いるはずです。
が、
東京でのライフスタイルが捨てられない”課題”や”悩み”のようなものがあると思います。

今いる場所で働いていて収入がある。仕事は大変だけど家も借りているしという…のようなサイクルが出来ちゃっていると、なかなかそこから抜け出すということは困難だと思います。
移住先で一から新しい生活を作れるのか!?というリスクはもちろんあります。
それを考えると、躊躇してしまう人は多いのかなーと。

奥様
5、6年前、私たちにとって「うるま市」は未開の地でした。
「読谷村」はおしゃれな人が集まっている。「北中城村」もそんな感じになってきた。「那覇市」はまるで東京みたいだというイメージが有りました。
が、「うるま市」の情報は住んでいてもまったく入ってこなくって。
「私たちに何ができるんだろうか?」というところからスタートだったんです。
「縁(えん)」や「タイミング」がいろいろ絡み合って今があるのかなと思います。

実際に暮らしてみて苦労したこととかありますか?

河野さん
妻が沖縄で物件を探しているとき、僕はまだ東京で残務処理をしていて…
ある時妻から「物件決めたよ」って連絡がきまして、え!どこ?って聞くと「うるま市」って…どこだよそれって感じで。
「TUTAYAがあるから大丈夫だよ」っとか言われて(笑)じゃー大丈夫かなーみたいな。

スーパーとか割と沢山あるし、小児科もあるし、大きな病気さえしない限り大丈夫かな。車社会に慣れてしまえば、何か不自由化ということは無いです。

けどやっぱり、車が無いとしんどいですよ。
モノレールエリアだったらまだいいかもしれないけど。

奥様
うるま市に住むんだったら車は必須ですね。

東京から沖縄の学校に入って、お子様の様子は?

奥様
小学生2人と上の子が中学2年生の3人なんですが、
友達とはすぐ仲良くなって遊んでいました。

割と子どもは適応能力にたけているのだなと思います。
特に下の子2人は移住したときは1歳と3歳。最初の一ヵ月は保育園で毎日泣いていましたけど、一ヵ月過ぎたころには「土曜日も保育園に行きたい」言い出すくらい大好きになってました。

お子様たちの訛りは、沖縄の子達と同じような感じですか?

奥様
下の子二人は完全に沖縄の訛りです。
子供達だけで会話するときは、うちなーぐちが飛び交ってますよ(笑)

移住する地域や住む場所の情報収集はどのよになさったのですか?

奥様
インターネットです。
実際現地に入って、インターネットで調べました。
“うちなーらいふ”とか賃貸情報サイトを見て物件を探していました。

「近くに歩いて行ける学校あるか」と何件かピックアップして、実際に見て回りました。
子供達の医療費補助などを調べる時間はなかったので、住んでみて市町村によってこんなに差があるんだと初めて気づく感じ。

沖縄移住にあこがれていたのですか?

奥様
移住に対する夢とか憧れがあって入ってきたわけではなかったんです。
会社員を辞めて沖縄移住したわけですから、私たちはここでゼロからスタートしていかなければならない。
やれることはなんだってやらないとという状態です。

東京時代とは違い、会社員ではなく独立したということでは、夫婦が向き合うしかない。
仕事でも家庭でも一緒にやっていくという中で、24時間ずっと対話をして今の状態に来ています。
夫婦が向き合うという意味で、実は住む場所や仕事は関係ないのかなと思います。
もちろん、6年こんなに素敵なうるま市に住まわせてもらって、やっぱり「そこで生きる覚悟」みたいなものを持てないと、移住ってなかなか難しいのかなと。
良い面だけではなくて、見えない苦労ばっかりの繰り返しではあるけども、「じゃー今東京に戻りたいか?」って言われても答えはNO。その気持ちが無いということは、この土地の力だったり魅力だと凄く思います。

その場所で、いいものを自分で見つける気持ちがあるかどうか。自分にあったライフスタイルを見つけることが、移住先では大事です。

答えを求めて移住するのではなく、自分で答えを探していくというほうが長く住むことができるのではないかと思います。
私たちもまだ6年目で発展途上ですが、今の私たちに言えることはそれくらいです。

河野さん
沖縄に行けば何かが変わるのではないかという、期待だけで移住している人が結構早めに地元に帰ったりしています。

奥様
残っている移住者の方たちは、その移住先で何かを見つけスタートさせている人達。
移住者の知り合いを見ている限りではそう感じが見受けられます。

河野さん
沖縄に対する理想像みたいなものがある人は、その理想と現実が違うという事で嫌になっちゃうことがある。
沖縄だけじゃないと思うんです。地域、地方そこだけのローカルルールというのが各地にあって。
そのルールはいわゆる日本的なスタンダードルールよりも強い場合が多く、そこは僕らも最初はまったく知らないでぶつかったり、戸惑うこともあります。
そこで嫌になってしまうのか受け入れるのかで、移住先を楽しめるのかに差がでるのかなと思います。

河野さん
親、親族と離れて暮らすということは、結構なハードルですが、考えていくしかないですよね。
親を頼らないで暮らす方法を考えるしかない。

奥様
東京にいたときは両家の親が近所に住んでいて、何かあればすぐ手助けをしてもらえる環境でありました。それは私も夫も外に働きにいっていたので、親に助けてもらわなければならない環境だったんですよね。
今は沖縄に来た以上、すぐにでも手助けしてもらえる環境ではないので、どうやって家族向き合って暮らしていくかを考えていくしかないんです。

沖縄移住を検討している人にアドバイスを

奥様
何が起こっても動じない心を持つということ(笑)
暮らさないとわからないという事はどの地域でもあって、その都度対峙しなくちゃいけない案件があります。
その時の折り合いのつけ方というのは、我慢するとかではなくて、こういう場に自分が住んでいるということを認識する作業が一番大事になってくる。

この地域にはこういう風習があってこういう建物があってこういう所に住んでいるんだって。まず自分がいる場所をきちんと把握すること。

あこがれている沖縄にいるのではなくて、今の沖縄がどういうものかということを把握して過ごしていく。
すぐ移住が厳しいのであれば、ドミトリーとかで暮らしてみて、日常的に暮らしてみるとか、ハローワークに行って仕事を探してみるとか、そういったシュミレーションをできるのであればそれはやった方がいいですし。

実際に来て暮らしてみて初めて理解できる素晴らしさが沖縄にはあるんです。そこはすごく伝えたいんですけど、でも、その素晴らしさに憧れだけでくると、こうじゃなかったという思いが強くなったときに長くはいられなくなっちゃうんですよ。沖縄で何かをしようと思って来たとしても、割とそういう人達がどんどん離れていっている。

自分が住む地域の事を知る、そこに自分がいるという事を把握することは大事だと思います。
地域の問題、教育の問題、政治の問題、いろんな問題がありはするんだけれども、そういう中に身を置いて自分が何をするのかを考えることは、その土地で暮らしていくのにとても大事なことだと思います。

河野さん
情報が溢れている時代です。
沖縄には素晴らしい景色も文化も美味しい食べ物もあって、きっかけは情報から仕入れたとしても、実際には自分で見つけていかないと本当の意味で自分にとっていいものになっていきません。
僕らが見つけてきた沖縄のいいものは、あくまでも僕らが見つけた沖縄のいいものであって、これから移住してくる人たちには、自分で見つけていってほしいと思います。見つけることを楽しんで欲しいと思います。

奥様
移住者自身が自分で見つけていって、そこで初めてここ良いよねって対話ができるとすごくいいなーっと思います。
移住を検討している方々って、見えない先が見たいんだと思うけど、結局その見えない先を創るのは自分たち。

河野さん
絶対100%毎日がうまくいくという、そういうわけではなく、
来てから解る事が必ずあります。それをどう消化していくかが大切です。
うまくいかなかった場合どう支え合っていくか、どう消化していくかという術を見つけていくことかなと思います。

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